フィリピン幸福論
第 1回 踊り狂う人々 前編
第 2回 踊り狂う人々 後編
第 3回 日本人がフィリピン
     に填まる理由
第 4回 戦士と乙女
第 5回 異形に寛容な
     フィリピン
第 6回 貧しいがゆえ
     豊かなるフィリピン
第 7回 激安暮しの幸福
第 8回 子供が溢れる
第 9回 MLによる新しい
     日本人ネットワーク
第10回 「お客さん」をやっ
      ていませんか?
第11回 マニラで遊べ!
第12回 Pの悲劇
フィリピン恋愛論
第 1回 シングルマザーに
     愛を・・・。
第 2回 駐在員 VS
     カラオケGIRLS
第 3回 Japan meets
     Philippines!
第 4回 日本女性 VS
     フィリピーナ
第 5回 健気なり!
     フィリピーナ!
第 6回 確信犯的悪女系
     フィリピーナ
第 7回 眼力を磨け!1
第 8回 眼力を磨け!2
第 9回 省令改正に関する
     緊急提言!
第10回 眼力を磨け!3
第11回 眼力を磨け!4
第12回 連載の総まとめ
  
著者 :   三四郎
撮影 : Vito Cruz
第6回 〜貧しさゆえ、豊かなるフィリピン〜
フィリピン人の大多数、約8割は貧困層であるといわれている。その中でも、ここ一ヶ月以内に自分の家に食糧がなく飢餓感を感じた経験のある人は、最低のメトロマニラでも全体の約5%、最高のミンダナオのモスリム地区では50%に届くという調査結果がでている。地方に行くほど、貧困層の割合は高くなる。

 彼らは定職がないので安定した収入がない。住居は普通借家であり、貯蓄などの資産もない。まさにその日暮しである。政府は貧困問題の解決に何ら有効な手を打てていない。フィリピンには充分な社会保障制度はなく、病気になった時や歳を取って働けなくなった時には、即、生きるか死ぬかの瀬戸際になる。

 日本ならば、年金、健康保険や失業保険などの社会保障制度がある。自治体には生活保護の制度があり、日本人として最低限の生きる権利がある。日本国憲法の三原則の一つ、「基本的人権の尊重」というやつだ。

 しかし、そんなに貧しいフィリピン人が貧困を苦にして自殺をしたという話は聞いたことがない。そもそもご飯が食べられなくて餓死をしたという話もない。政府に頼ることも出来ず、窮地に陥ったフィリピン人はどうやって生き延びているのだろうか?

 その答えは、やはり「ファミリー」である。家族や親戚がお互い助け合って、支えているのである。そして一族が支えなければ、肩を触れ合わせて暮らしている隣近所の人々が急場を助ける。フィリピン人はご飯が食べられなくて困っている人を見捨てないのである。

 フィリピン人は、お金を貸してくれとやってくる親戚や友人に対して邪険な扱いをしない。たとえ自分が経済的に苦しくても、満額とはいわないが、気持ち程度は握らせて帰すのだ。

 「今これだけしか持っていないから、半分こにしよう」といって、相手に握らせるのだ。

 政府は助けてくれない。まともな会社にも属していない。ファミリーに帰属しなければ、多くのフィリピン人は一日も生きていけないだろう。一族の中でビジネスに成功した者は、他の親戚を雇い、彼らを食べさせている。あるいは一族の何人かが海外に出稼ぎに出かけ、彼らが送ってくる送金を分け合うことで暮らしている者も多い。サリサリストアやトライシクルなど「小商売」を始める場合の資本を出してもらったりすることもある。一族が一族を雇用し、収入を分け合い、急場をしのぎながら生き延びているのだ。

 そういうフィリピン人であるから、ファミリーの絆を確認することは非常に重要である。カソリックの宗教行事であるクリスマスやハロウィン(日本のお盆のようにお墓参りをする)はもとより、一族の誕生日、結婚式や洗礼式で絆を再確認する。生まれた子供の名づけ親になり、一生その子供との関係を大切にする。年上を敬い、年下にはプレゼントを贈って可愛がり、年に何回も顔を会わせて一族の連帯感をより強く深いものにする。海外で働くフィリピン人が年に一度、なんとかクリスマスに間に合うようにフィリピンに帰ってくるのは、このためなのだ。

 つまり、政府が守ってくれないから、一族で守りあう。フィリピンでは、何百年も前からカソリックという宗教の行事と結合して、このように一族が連帯を深め、助け合って生きているのである。それが彼らの「社会保障」であり、世界では未だこのようなスタイルが多数派なのであろう。

 フィリピン人は貧しいがゆえに、人々は助け合う。助け合う時に濃厚な人間関係が生まれる。それが人々の心を結果として豊かにしている。経済的には貧しいが、精神的には満たされている。ファミリー、隣人、仲間という心のよりどころがあり、精神的なシェルターがある。クリスマスをみんなで祝えば、自分は一人で生きている訳はないということがわかる。

 豊かな日本では忘れられてしまった、「人は一人では生きられない」という真実を彼らはわかっている。自分にも不遇の時がやってきて、心の痛み、疎外感、孤独感、敗北感、自己嫌悪を感じる可能性があることを知っている。困っている相手に差し伸べる手が、どれほど相手の心を溶かすかを知っているBなぜならば自分も手を差し伸べられ、助けられたことがあるからだ。

 高度な社会保障制度を擁する日本人は、「人は一人で生きていける」と思っている。お年よりは介護保険で賄い、老人ホームに預ければいいと、一族で押し付けあっている。自分の老後のことは考えず、育児コストを考え、少子化を進行させている。世代間の絆が「経済性」によって断絶され、どんどん歪になっている。中高年の自殺年間約3万人、青年の引きこもり約100万人。老親の介護に疲れ果て、親を縊り殺す子供がいる日本。

 豊かなはずの日本が貧しく見え、貧しいはずフィリピンが豊かに見える。

第7回 〜フィリピン激安暮しの幸福〜に続く!

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著者プロフィール

著者名 三四郎

フィリピン社会事情MLを運営。
マニラ現地サービスを展開中!
マニラ在住8年。

E-MAIL: nbf04352@nifty.com
URL: www.pmlc.net


撮影者 小俣慎也 (通称Vito Cruz)


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